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 どうしてノバは、ここまで運んでくれたんだろう。あんなに俺のことを敵視していたのに、何故こんなことをするのだろう。きっと何か裏があるに違いない。
 身体が重く、一人では布団から起き上がるのも難しい。今命を狙われたら、間違いなくあの世逝きだろう。油断をしてはいけない。俺はまだ助かったわけじゃないのだ。
「それでさ、八神くん」レイさんの表情が曇る。「利央とは、もうこれ以上関わらないでくれないか」
 レイさんの言葉に、俺は笑った。なんだ、そんなことを気にしていたのか。
「言われなくたって、関わるつもりはないですよ」
 そう返すと、レイさんの表情が緩む。分かりやすい人だ。
「ならいいんだ。ごめんな」
 あ、お腹空いてるだろ。何か作るよ。そう言ってレイさんは立ち上がり、キッチンへと向かう。その背中を眺めながら、俺はそっと息を吐き出した。「ごめんな」なんて面と向かって言われたのは初めてだった。何となくむず痒い。

 暫くして、レイさんが卵粥を運んできてくれた。
 湯気と共に立ち上る匂いに、俺の腹から間抜けな音が出る。身体は正直だ。
 布団から上半身を起こすのをレイさんに手伝ってもらう。まだ身体は思うように動かない。こんな調子で、明日の朝は大丈夫だろうか。
「こんなものしか作れないけど」
「いえ、十分です。いただきます」
 僅かな塩気とともにふんわりと卵の優しい味が広がる。美味しい、と思わず呟いていた。それを聞いたレイさんが「良かった」と目を細める。
「ごめんな、君がこんな事になったのはこっちの責任なのに、『関わるな』なんて勝手だよな」
 まだそんなことを言う。この人はどこまでお人好しなんだ。
「別に、気にしてませんから」
「こんな目に遭ってるのに、気にしてないわけないだろう」
 強い眼差しに射すくめられ、閉口する。この人は何をそんなに怒っているんだろう。俺のことなんて気遣わなくていいから、放っておいてくれよ。あんたに俺の何が分かるっていうんだ。
「俺のことより、気にしなきゃいけない人がいるでしょう」
 すると、今度はレイさんが黙る番だった。俺は思考を中断して、残りの卵粥を掻き込む。レイさんの視線がずっと俺に向いているのは、気にしないことにした。
 壁掛けの時計を見やると、もう九時を回っている。外はとっくに暗くなっているのに、ノバはまだ戻らない。そんなに俺が嫌なら、何故俺を連れてきたんだ。分からない。あいつの行動は矛盾だらけだ。

 それから三時間ほど経てば、身体の調子はほぼ元に戻っていた。気になるとすれば、僅かな頭痛のみだ。その僅かな痛みにより、俺の眠りは妨げられてしまっていた。
 天井を見つめながらぼんやりとしていると、ドアが開く音がした。俺は慌てて目を閉じる。
 しばらく目を閉じたまま様子を窺っていると、足音が段々俺に近づいてくるのが分かった。気づかない振りをして、さっさと眠ってしまおう。今話したって気まずいだけだ。そう思って布団を頭に被ったのだが、布団越しに声が聞こえてきた。
「どうせ起きてんだろ。来いよ」
 ノバの声だ。やはり帰ってきたのは奴だった。頑張って演技をしていたのが無駄だと分かり、少し恥ずかしくなる。目を開けると、月明かりに照らされたノバの姿があった。月明かりを背に立っているため、その顔はよく見えない。
 ベランダへ出て行くその背中を追って、俺もこっそりと布団を抜け出した。外は街頭の明かりすらとっくに消えていて、月明かりが優しく町を照らしている。
 ノバがフェンスにもたれ掛かる。俺は後ろ手に出入り口を閉めると、隣に並んだ。
「レイさん心配してたぞ」
「うっせ。気安くレイさんなんて言うんじゃねぇ」
「別にいいだろ。野葉さん、って言ったらあんたとごちゃごちゃになるし」
「つーか、俺に対しての言葉遣いもおかしいよな。敬語ねぇのか」
「だって敬う気ないし」
 俺がそう返すと、ノバはため息を零した。たとえ年上だろうが、俺の命を狙うような奴に敬語を使うなんて絶対に御免だ。という言葉は心の中に留めておく。話したいのはこんなことじゃない。
「あの時、何をした」
 ノバはこちらを向かない。それでも俺は言葉を続けた。
「あいつは死んだのか?」
 炎に焼かれて姿を消した「もう一人の俺」は、あの後どうなったのだろう。
 ノバはゆったりと息を吐き出した。
「死んではいない。だから、いつ今日みたいに奴が暴走してもおかしくない」
 ノバは淡々と言ってのけた。つまり、俺はまた人を襲うかもしれないのか。そんなの絶対に嫌だ。あんな奴に俺の身体を好き勝手されるのは気持ち悪い。
「何とかならないのかよ」
「今の俺じゃあ無理だ」ノバはそう言ってこちらを向く。「だから、方法を探す」
「探すって、どうやって探すんだよ」
 あいつの正体は何なのか、何をして俺の暴走を止めたのか。大事な部分をノバは答えようとしない。
 ノバは服の内側から何やら取り出して俺に投げつけた。見ると、所謂御守りというやつだった。
「とりあえず、それを肌身離さず持っとけ。んで、俺の帰りを待て」
 そうして俺の答えを聞くことなく、ノバは室内へ戻っていった。俺は一方的に押し付けられた御守りをズボンのポケットに仕舞い、慌ててその後を追う。
 帰りを待てって何だ。そう尋ねても、やはり答えはなかった。  

- continue -

2010/12/16
2010/12/24 修正