09


 ノバは目の前の狐の姿をした妖・八神ゆうきのあまりの妖力の大きさに驚いていた。呪符一枚では、動きを止めるので精一杯だ。
 強い妖気に胸が詰まるような息苦しさを覚える。その迫力に足が竦む。
 何せ、ノバはまだ半人前だった。師である父は気をおかしくして妹と母を殺し、どこかへ逃亡してしまった。残されたノバに陰陽術を教えようという者は、誰もいなかった。それでも、どうにか自力でここまでやって来た。
 いつだって実力不足で父に笑われていた。妹の利奈はまだ小学生だった。妹は泣きながらノバに「逃げて」と呟いた。あれが、最後だった。
 だから見返したい。だから、負けたくない。絶対に。
「おい、何なんだよ、これは」
 背後でまことが尋ねる。ノバはまことに尋ね返した。
「お前こそ、何でこんなところにいるんだよ」
「こんなところって……普通に歩いてただけだっつの」
 普通に歩いてた? 歩いていただけで、こんなに簡単に入り込めてしまうものだろうか。
 辺りを見回すと、確かに時空は歪んでいる。目の前の炎狐だけでなく、空中を様々な妖が飛んでいた。現実世界とよく似ているが、ここは全くの別次元だ。妖の住まう別世界に、まことはどういうわけか飛ばされてしまったのだ。発見が遅れたのもそのためだろう。
「いいか、お前はそこでじっとしてろ」
 まだ困惑顔のまことにそう言うと、ノバは集中力を高めた。とにかく、根本から妖を断ち切らなければ。


 ***


 白い空間の中を彷徨っていた。壁などない。ただ真っ白い空間の中を、果てしなく歩いていた。ここが一体どこなのか、何故こんなところにいるのか、そんなことは全く分からない。
 ふと背後に気配を感じ、振り向く。すると、自分が立っていた。身長や顔立ちはもちろん、左目の色まで瓜二つだ。真っ赤な左目はまるで生き物のように鼓動し、くるくると回転し続けている。
 ――邪魔なんだよ、お前。
 少年はゆうきを睨んでそう言った。
 ――お前さえいなければ、俺がこんなところに閉じ込められることもなかった。全部、お前のせいだ。
 少年はそう言うや否や、牙を剥いてゆうきに襲い掛かってきた。首元に噛みつかれ、血が飛び散る。焼け付くような激痛に、悲鳴さえ出ない。
 ああ、俺は死ぬんだ。
 薄れてゆく意識の中、ゆうきは思った。目の前の少年は口角をつり上げ、鬼のような眼光でゆうきを見上げていた。母親を殺した夜、鏡に映った顔そのものだった。
 ゆうきはそれを見て理解した。そうか、こいつが犯人だったのだ。こいつが母さんを殺した張本人なのだ。怒りがこみ上げる。
 その時、誰かがゆうきと少年とを強い力で引き離した。その勢いで地面に頭を強く打ち、意識が飛びそうになる。
 視界に入ってきたのは、明るい茶髪だった。耳に光るピアスには、覚えがある。雨の日、校門前で同じものを見た。ノバ。確か、そういう名前だった。
 ノバはゆうきそっくりな少年をじっと睨んでいた。その右手に握られている六芒星の入った細長い紙を、少年へと投げつける。紙が少年に触れた途端、大きな橙の炎が上がった。炎は少年を包みこむ。少年の甲高い悲鳴が白い空虚な空間に響き渡った。
 ――やめろ、やめてくれ。
 少年は炎に焼かれ、骨の髄まで燃えていった。
 ゆうきはノバを見る。その横顔はとても冷静で、しかし眼差しだけは猟人のそれのように獲物を捉えて離さず、力のこもったものだった。
 一体ノバは何者なのだろう。何故、こんな不可思議な能力を持っているのだろう。
 少年の姿が完全に燃え尽き、塵と化した時、白い世界が音をたてて崩れだした。白が崩壊し、その裏に隠されていたのは黒だった。黒と白とが混ざり合い、渦巻いた模様がそこら中に溢れる。床が崩れ立場所を無くしたゆうきとノバは、渦の中に吸い込まれていった。
 世界が崩壊していく音を聞きながら、二人ともただ落ちていく。白黒の渦巻きの中を見つめていると、その先に一筋の明るい光があるのが分かった。
 ふと、ノバに左腕を強く掴まれる。ノバは何やら呟くが、崩壊音にかき消され何を言っているのかは分からない。
 ノバの黒い目玉をゆうきはじっと見る。その目には力強さがあった。やがてノバの口元にふっと笑みが浮かぶ。
 ――なあ、この腕で何人殺した?
 あの時と同じ表情だった。何故、この人は笑っている?
 疑問を抱きながらも、光の方へと目を向ける。光の先には緑の芝生が見えた。  

- continue -

2010/03/22