5th Game


 井川竜という奴が転入してきてから、クラスの人間は皆混乱している。俺もそのうちの一人だ。
 俺は真壁の命令とはいえ、魅月竜を殺した。直接手を下したのは俺なのだ。あれからずっと後悔していた。一人の人間を殺した。その事実がばれた時、捕まるのは間違いなく俺だ。周りから非難されるのも俺だ。
 軽く押しただけだった。ほんの少し力を込めただけで、あいつは簡単に宙を飛んだ。その時の魅月の顔を、まだ鮮明に覚えている。しっかりと見開かれた目は俺を睨んでいた。強い光を持った目だった。その眼力に目を奪われ、俺は落ちていく魅月をずっと見ていた。あいつの頭の骨が砕ける音を聞いた。あいつの中身が潰れる音も聞いた。血が地面に大きく広がった。あいつの目はそれでもしっかり見開かれたまま、上を見ていた。
 あの日以来、俺は眠りが浅くなった。なかなか寝付けず、目を閉じるとあの光景が瞼の裏に映った。怖かった。
 魅月はとても弱い奴だった。それなのに妥協するという方法を全く知らない馬鹿だった。皆そんな魅月をクラスの全員が見下していた。その魅月が、まさか最期にあんな顔をするなんて、誰だって予測できなかっただろう。
「中島」
 俺を呼ぶ声に、はっと顔を上げる。席に着いている俺の前に立っていたのは、坂下だった。俺と同じ、真壁の子分だ。俺は、こいつの言うことには逆らえない。何故ならこいつの方が賢くて、真壁に気に入られているからだ。俺は下の下。奴隷のようなものだった。
「おい、中島。聞いてんのか」
「あ、ああ。ごめん」
「ったく。まあいい。お前さ、真壁んとこ行かなくていいのかよ」
「え? 何かあったっけ?」
「馬鹿お前、真壁の分のパン購買で買うんだろうが。さっさとしないと売り切れるぞ」
「あっ」
 そうだった。今日は俺が買う日だった。
 俺は急いで教室を出た。もうとっくにチャイムは鳴っていたというのに、何で俺はこんなにぼんやりとしてしまったのだろう。

 結局、パンはとっくに売り切れていた。
「ごめんねえ。もう売り切れなんだよ」
 購買のおばちゃんが申し訳なさそうに言う。
 俺は慌てた。これはマズイことになった。ああ、大変だ。
 仕方なく自販機で飲み物だけ買って、俺は屋上へと向かうことにした。足取りが重い。何と言い訳したらいいのだろう。下手をすると殴られるかもしれない。上手い言い訳を考えなくちゃ。
 のそのそと屋上へと続く階段を昇る。立ち入り禁止のプレートがついたロープを超え、鍵の壊れた(正確には真壁が壊した)ドアを開ける。
 坂下が俺を睨んだ。睨まれたって、どうしようもない。
 真壁は腕を後ろで組んで枕代わりにした状態で、仰向けになっていた。目は閉じている。
「遅い」
 一言そう呟かれ、坂下も俺も反射的に肩を震わせた。まずい。
 坂下が口パクで俺に言う。「さっさと謝れ」と。言われなくたってそうするつもりだ。
「ごめん。今日はパンが売り切れていたみたいで……。飲み物だけ買ってきた」
 そう言って真壁にコーヒー牛乳を差し出す。真壁は目だけこちらに向けると、また目を閉じた。
「いらねえ。お前にやるよ」
「へ?」
 真壁は今、何と言った?
「お前にやる。今日は腹へってねえんだ」
 珍しい。真壁がキレないなんて。しかも、坂下でなく俺にくれるなんて。今日は槍でも降ってくるんじゃなかろうか。
「あ、ありがとう」
 俺はとりあえず礼を述べ、ストローをパックに差した。冷たく濃厚な風味と共に喉が潤う。美味い。今日は真壁の機嫌が良いので余計に美味い。
 しかし、俺とは正反対に坂下の顔はにこりとも笑っていなかった。真面目な顔で真壁を見つめている。そして言った。
「真壁、どうしたんだよ」
 真壁は相変わらず目を閉じている。陽ざしが穏やかで、雲ひとつない真っ青な空が広がっている。寝るには持って来いの環境だ。
 坂下は続ける。
「お前、何で動かないんだよ。何で井川竜を潰さないんだよ。お前らしくねえよ」
「お前如きが俺の何を知ってんだ。馬鹿にすんな」
「だって……いつもならもう行動してるはずだろ? 俺と中島で井川に嫌がらせをしてる時期だろ?」
 言われてみれば、確かにそうだった。いつもなら坂下と二人で仕掛けに行っているはずなのだ。けれど真壁は俺たちが井川を強く押して教科書をばら撒かせ、その手を踏みつけたのを見て、「つまらないことをするな」と言った。あれは、確かに今までの真壁からは考えられない行動だった。
「今の真壁は別人だ。俺の知ってる真壁じゃない」
 坂下はとても真剣な眼差しをしていた。だから俺は飲んでいたコーヒー牛乳をゆっくりと地面に置いた。こんな坂下を見たのは、魅月を殺したあの日以来だ。
「怖くねえのかよ」
 坂下は真壁に畳み掛けて言うが、真壁は何の反応もしない。まるで俺たちがいないかのように振る舞う。
 坂下はそれでも続けた。
「俺は、怖いよ。あいつが怖い」
 俺だって怖い。だって魅月を突き落としたのは俺だ。何もせず傍観していたお前が、何言ってんだ。正直ちょっと腹が立った。あの時の魅月の顔を真正面から見ていなかったお前が、そんなこと言うんじゃねえ。そう言いたかった。
「待ってんだ」
 真壁がぽつりと言う。その言葉に、俺も坂下も真壁を見る。
「あいつが動くのを、待ってんだ」
 そう言って目を開いた真壁の顔は、真剣そのものだった。その目は、空の一点をじっと見据えていた。そして、口元をふっと緩ませた。その笑みにぞくりとする。
 真壁には何が見えているのだろう。
 問いかけたかった。真壁、お前は今何を考えてんだ?
 

- continue -

2010/02/18
2012/01/31 修正