「その命、もらっていこうか」
首に絡まった髪の毛にずるずると引きずられ、ゆうきはアパートの室内へと連れ戻された。きつく締め上げられ、次第に呼吸が浅くなる。首に絡まる髪を必死にほどこうとするが、緩むことはなかった。
「おじさん、やめて!」
こちらへと駆けよろうとするレイに、袈裟の男は何やら呪文のようなものを呟き、弾き飛ばした。
左目が熱を帯びて、痛み出した。腹の底から高ぶった感情が込み上げてくる。自然と頬が上がる。
何故自分が笑っているのか、ゆうきには分からなかった。
「八神くん!」
レイの声がぼんやりと聞こえてくる。ゆうきの意識は虚ろだった。頭の中に、男の声が語りかけてくる。
ーー人間、やめちまえ。楽になっちまえよ、なあ。
頭が割れるように痛い。
ふと、袈裟の男がこちらを見つめていることに気づいた。目が合うと、男は口元から白い歯を覗かせた。
「俺たちには、この世界は狭すぎるんだよ」
長い髪の毛の間から、男の鋭い目がゆうきを見つめる。
ーーお前が欲しいものは、何だ。
頭の中に問いかけてくる声は、この男の声だ。ゆうきはようやく理解した。欲しいものと言われて、ふと脳裏にとある光景が浮かぶ。それは、いつかの父と母だった。公園で転んだ幼いゆうきに、父が手を差し伸べる。
ーーゆうき、おいで。
その父は、とうの昔に癌で死んだ。そして母も死んだ。自らの手で殺した。
欲しいものは。
「欲しいものは、もうない」
喉元が髪の毛にきつく締め上げられ、声にならない声が出る。
「もう、何もいらない。欲しく、ない」
男はゆうきの様子をじっと見つめ、口の片端を吊り上げた。
「それでいいんだよ。さあ、俺と行こう」
「ダメだ、八神くん! しっかりしろ!」
レイの声は震えていた。ああ、この人はまた、余計な心配をしている。ゆうきはぼんやりと考えた。
自分の体がどんどん熱くなっていく。口から獣の呻き声が漏れた。手足の感覚も、人間のものではないようだった。
そのとき、アパートの窓から強い風が吹いた。
「おい八神! こっちだ!」
誰かが叫ぶ。ゆうきの方へ人の手が伸びてくる。意識が朦朧とする中、ゆうきは必死でその手を掴んだ。途端に強い力で引っ張られ、体に絡みついていた髪の毛が解ける。気管から一気に空気が入り込み、少しむせた。
「早速御守りが役立ったみたいだな」
ゆうきの手を握りながら、ノバが不敵な笑みを浮かべた。
「利央! いつ戻ってきたんだよ。っていうかお前、今窓から……」
「心配かけてごめん、レイ。御守りに傷が付くと、式神から連絡が入る仕組みなんだ。で、急いで飛んできた」
そう言って式神の頭を撫でるノバに、男が問う。
「お前は何だ」
「息子の顔も忘れたのかよ、父さん」
ノバの目は笑っていなかった。父さん、という言葉に、袈裟の男は目を見開く。数秒、ノバの姿をじっと見つめ、「ああ」と目を細めた。
「この容れ物の息子か」
と呟いた。男の目に感情はない。
ゆうきは状況がよく分からず、暫く二人のやり取りを黙って見ていた。
- continue -
2016/11/04