17


「さ、きゅう……おおはし?」
 ゴリラ教師に描いてもらった地図は、驚くほど汚かった。仮にも教師なのだから、もっと読める字を書いてほしい。決して俺がアホだから読めないというわけではない。これはさくりゃくだ。俺をはめるためのワナだ。ちくしょう。
 おそらく「さきゅうおおはし」と読むのだろう。とりあえず、河原沿いを進みながら橋を目指すことにした。橋の先はというと、地図上には一本の矢印があり、その先に「アパート二〇二」と書かれている。どのアパートだ。
(あんにゃろう)
 地図を叩き付けたくなる衝動を抑え、俺は歩く速度を速めた。
 それもこれも、ノバを問いただすためである。
 プリントを届けるという口実があれば、ノバから八神のことを聞き出せるかもしれない。そんな淡い期待を抱いていた。
 が、甘かった。
 やっとたどり着いたアパート――山月荘というアパートだった――その場所に、ノバは居なかったのだ。
「利央なら、出てったよ」
「は?」
「だから、出てったって」
 若い兄ちゃんが耳をほじくりながら言う。ノバの親父かと思ったが、それにしては若すぎる。どう見たって二十代だ。
 大きな欠伸を漏らしながら、男は繰り返した。
「出てったから、ここには居ない。わかった? じゃ」
 そのままドアを閉めようとするので、俺は慌てて足を挟みこんだ。
「ちょ、待って! じゃあ、どこにいるんっすか」
「さあ」
「さあ、って……」
 男は眉一つ動かさない。心配ではないのだろうか。ゴリラ教師の地図を頼りに尋ねた結果が、これである。
 探るような目つきで、男は言った。
「君は、利央の友達?」
「ただのクラスメイトっす」
 クラスメイトと知った途端、男の顔がふっと緩む。
「そうか。俺は利央の保護者。野葉レイです。よろしく」
「どもっす」
 レイと名乗る男は、そう言って俺に右手を差し出した。手を握り、握手を交わす。レイの右手はひんやりと冷たかった。
 保護者ということは、親ではないのか。親は仕事か。いや、それならこいつが保護者と言うはずがない。少し考えてしまったが、まあ保護者なのだから似たようなものだと思うことにした。
 先ほどの無愛想な面から一変し、レイはにこやかに笑ってみせた。
「せっかく来たんだし、お茶でも飲んでいく?」
「や、プリント届けに来ただけなんで」
 そう言ってファイルをレイに差し出すも、強引に腕を引っ張られる。
「だから、プリントのお礼だって。お茶でも飲んでってよ。ね?」
 すばらしい笑顔でそう言われてしまえば、頷くほかなかった。この強引さは血筋か。

 ***

「で、君の名前は?」
 ちゃぶ台の上に湯呑を置きながら、レイという男が尋ねる。
「瀬川です」
 俺の名前を聞くなり、レイは妙に納得したような顔で頷いた。
「そうか、君がまことくんか」
「知ってたんすか」
「まあね。いつも立川先生と喧嘩してるんだって?」
「立川のほうから絡んでくるんっすよ」
「利央も似たようなもんさ。自分のポリシーだとか何とか言って、ピアスも茶髪も直そうとしなくてね」
 困った奴だ、と言いながらレイは茶を啜る。その表情は穏やかで、ちっとも困っているようには見えなかった。
 窓の外から夕陽が差し込み、レイの髪が赤茶色に染まる。すっかり薄暗くなってしまった室内の様子に気づき、俺はあわてて壁掛け時計を見た。時計の短い針は五を指していた。学校を出たのは四時頃だったので、約一時間も周辺をウロウロしていたことになる。あのゴリラめ、ただじゃおかねえ。
 とにもかくにも、ノバが居ないのであれば用はない。
「えっと、俺、帰りますわ」
 そう言って湯呑の茶を急いで飲み干そうとする。が、むせた。喉がひりひりと痛み、目に熱いものがこみ上げる。げほげほと咳込んでいると、レイが背中をさすった。
「そんなに慌てることないじゃないか」と苦笑され、思わず顔をしかめる。子ども扱いされるのは、好きじゃない。大人ぶってるこいつも、気にくわない。
「大丈夫っす。ほんとに、もう帰るんで」
 背中に乗せられた手から逃れるように、玄関へ向かう。来るんじゃなかった、と思った。早く帰りたい。ニコチンでイライラを静めたい。
 スニーカーに足を突っ込み、かかとを踏んだままドアノブに手をかける。レイに再び声をかけられたのは、俺がまさに飛びだそうとしたその時だった。
「利央のことは、そっとしといてくれないかな」
 聞き捨てならない言葉に、足を止める。振り返ると、レイの笑みは消えていた。猫のようなつり目が、じっとこちらを見据える。
 ほら、またあの目だ。大人ってやっぱり汚い。
「正直、君の手に負えるような奴じゃない。きっと、関わったことを後悔すると思う。だから、」
 その先はもう聞かなかった。聞く前に、玄関を飛び出していた。大股でずんずんと歩き、アパートの階段を一気に下る。ドラッグストアの角を曲がり、早足で商店街を抜ける。アパートが見えなくなっても、イライラは収まらない。自販機のゴミ箱を蹴っ飛ばしても、煙を吸っても、収まらなかった。
「だから、詮索するなって?」
 誰にともなく呟く。ふざけるな、ふざけるな、ふざけるな。
 やっぱり、大人は嫌いだ。  

- continue -

2013/01/21