本音ではない。そりゃあ真壁のことは怖いしいつもこき使われるのは疲れるけど、だからといってこんなに突然不満を爆発させるほどストレスを抱え込んでいたつもりはない。俺は自分の意思で真壁と一緒にいたんだ。決して脅されたわけでも、流されたわけでもない。
「自分が何言ってるか分かってんのか」
真壁は静かにそう言ったが、その目は鋭く俺を睨んでいた。その獣のような目に少したじろぐ。一瞬頭の中が真っ白になった。こんな目で睨まれたことなんて無かった。そうか、俺はたった今、真壁に敵と見なされたんだ。
「わかってるさ。お前らの愚かさも、鈍さも」
自分の口から出たとは思えないような言葉だった。俺の口元は先ほどから緩みっぱなしだ。どうやら俺の中の誰かさんは、この状況が面白くて仕方ないらしい。
「てめえ、ふざけんなよ!」
坂下はそう言って俺の胸倉を掴んだ。その顔は引きつっている。やはり俺の知っているものとはほど遠かった。俺はこの先の展開を知っている。いつもなら殴る側の人間だったが、今日は違う。今日は二人の敵なんだ。
怖くて目を固く閉じ、痛みに備えた。しかし、痛んだのは頬ではなく自分の右手だった。血肉や骨にぶち当たる嫌な音がした。坂下が間抜けな声を上げ、ふっと胸倉を掴む力が消えた。目を開けると、坂下の頬が赤くなり、唇が切れて血が流れていた。自分の右手を見ると、固く握られている。
――そうか、俺、こいつを殴ったんだ。
そう気づいたときには遅かった。俺の身体は既に坂下の身体の上に馬乗りになり、更なる痛みを与えていた。坂下の顔面が醜く歪んでいく。それに比例して次第に口角が上がっていくのを感じた。
違う、俺の意思じゃない。
お前は、誰だ。
誰だ?
「おい、やめろ中島」
真壁の声がする。それを無視して坂下を殴ろうとした腕を、背後から強く掴まれる。
「それ以上やったら、そいつ死ぬぞ」
真壁は相変わらず落ち着いていた。腕を握る力は普段の俺なら悲鳴を上げてしまうほどのものだったが。
捕まれた腕の先には赤い液体が付いていた。血の臭いが鼻腔を刺激する。
俺は攻撃を止められてほっとしていたものの、俺の中のヤツは違ったらしい。それまで緩んでいた口元が引き締まる。気に食わないということか。
俺の意思とは関係なく、俺は真壁の方を振り向いた。
「邪魔をするな」
俺が言う。俺がどんな表情をしているのかは分からないが、真壁の顔を見る限り今までの俺にはないような表情だったのだろう。自分が今笑っているのか怒っているのか分からない。
俺は立ち上がり、屋上を後にした。どこへ行くつもりなのだろう。俺は何も分からないまま歩かされる。何だか悪い夢でも見ているようだ。緩みっぱなしの表情とは裏腹に、俺の内側は恐怖と不安に満ちていた。
ああ、悪夢だ。
- continue -
2010/07/11