13th Game


 チャイムが鳴ると、一目散に真壁のクラスへ駆け込んだ。またか、と真壁がうんざりした顔を見せる。俺はそれに構わず真壁の腕を取ったが、すぐに強い力で振り払われる。そうだった、触られるの嫌なんだっけ。
「なんだよ」
 真壁の片眉が上がる。けれど今はそんなことどうでもいい。俺は真壁に「ちょっと来て」と言って、早足で教室を出る。後ろから真壁が怪訝そうについてくるのを時折確かめながら、屋上へと急いだ。
 扉を開けると、強い風が吹き付けた。一瞬目を閉じる。少しすすけた白いコンクリート上に足を踏み出せば昨日の出来事が鮮明に蘇り、冷たいものが手足から喉元までこみ上げていった。昨日、確かに中島はここから飛び降りて死んだ。扉を開けてすぐの場所には、昨日の血痕が赤黒く染みついている。昨日の出来事が嘘なら、これは誰の血だというのだ。
 後ろで扉が大きな音をたてて開き、真壁が不機嫌な顔でずかずかと屋上にやって来る。
「で、どうした」
「中島が消えたんだ」
 俺の言葉に真壁が笑う。
「そりゃ、昨日死んだし」
「違う。クラス名簿から名前が消えてんだよ。宇島もクラスの皆も、誰もあいつのことを知らねえ。そんな奴最初からいなかったって言う。俺が中島が来てないって言ったら、誰だよそれって、」
 そう言うんだ。言葉尻が小さくなる。真壁の顔から笑顔が消えたのを見て、それ以上の言葉を飲み込んだ。真壁は視線を宙に漂わせる。暫く静かに考え込んでいたが、やがて眉間に深い皺を刻んで「あいつしかいない」と吐き捨てた。
「あいつって井川かよ」
「それしかねえだろ。多分井川が何かしたんだ」
 多分、とは真壁らしくない口ぶりだ。
「クラスメイトや宇島と口裏合わせてるってか? 転入してたった二週間ちょいでそんな真似できるかよ、バカベ」
 そう言うと鋭い眼光で睨まれ、慌てて口を噤む。
 真壁はフェンスに寄りかかり、座り込んだ。俺もそれに倣って座り、「ごめん」と謝る。真壁は空を眺めて、また何やら思考を飛ばしているようだった。湿っぽい風が吹き抜け、視界を前髪が覆う。
 結局何の答えも出ないまま、時間だけが虚しく過ぎていった。

「坂下くん、ちょっといいかな」
 俺が教室に戻ってくるなり、後ろの席の井川が話しかけてきた。その不自然さに思わず顔をしかめる。今まで井川のほうから話しかけてきたことなんて、一度も無かった。井川は誰とも会話をせずただ自分の席に一人ぽつんと座っているような奴だったはずだ。そういえば、今朝は女子と普通に会話をしていたような気がする。クラスで除け者にされていたはずの奴が、何故当たり前のように俺に話しかけるんだ。
 黙って後ろに目をやると、井川からノートの切れ端を渡された。そこには「今日の放課後ここに来て」という一文と一緒に簡単な地図が描かれていた。意図が掴めない。顔を上げると、口角を上げて綺麗に笑う井川と目が合った。どうするべきか、躊躇う。以前、中島が井川と何やら企んでいたのは知っている。中島がいない今、俺が中島の代わりに目を付けられてしまったのだろうか。
 じっと様子を窺っていると、井川は俺の耳元に口を寄せて囁いた。
「実は、ちょっと相談したいことがあるんだ」
「相談? 何だよ」
「ちょっとね」
 井川は俯きながらにやにやと含み笑いする。何だ、何なんだ。気持ち悪い。
「いいから言えよ」
「嫌だよ」
 渋る井川に苛立って、思わず声を張り上げた。
「言えって!」
 教室が静まり返った。騒いでいた男子がプロレス技をかけたままこちらを向く。固まって何やら談笑していた女子集団が、髪を弄る手を止める。井川はその様子を横目に見て、再び俺へと視線を向ける。そしてどこか楽しげな様子で、更に言葉を付け足した。
「皆に知られて困るのは君たちだよ」
「君たちって、俺と真壁か」
「そう」井川は頷いて、そっと耳打ちした。「それと、中島くん」
 その言葉にぎょっとして井川を見る。井川は肩を揺すって笑った。くっくと奴の喉の奥から音が漏れる。俺は、頭の中が真っ白になった。
 やっぱり俺の勘は間違っていなかった。井川が中島を誑かしたんだ。中島はこいつのせいで可笑しくなったんだ。
「ふざけんなよ」
 机を張り倒し、井川の胸倉を掴む。華奢な身体はされるがままに揺れた。近くにいた女子生徒の固まりが、小さく悲鳴を上げて後退する。
「お前、さっきから何なんだよ。中島がどうしたって? 中島なら死んだよ。お前覚えてないんじゃなかったっけ?」
 その身体を窓際に押し付けて首元を強く締めると、井川の顔が苦しげに歪んだ。しかしその口元には変わらず笑みが浮かぶ。余裕げな表情に腹が立ち、更に手元を絞めた。
 俺が片手で窓を開くと、強い風が教室に吹き込んでくる。背後でクラスメイトが息を呑む気配がした。白い空からゆっくりと視線を下げれば、三階下の白いコンクリートが目に映る。俺が胸倉を掴んだまま更に力を加え、井川の上体を窓の外に押し出す。誰かが悲鳴を上げた。
「このまま落ちるか、今ここで喋るか、選べ」
「どっちも嫌だよ。それに、君にはそんな度胸ないだろ」
 俺の手の震えを見て、井川は鼻で笑った。わざと挑発しているのだ。そして悔しいことに、俺は奴の口車にうまく乗せられている。分かっていても腹が立った。
「だからさ、協力しないか」
「は?」
「僕と組んで、真壁をぎゃふんと言わせよう、ってこと」
「ぎゃふんと? 俺が、真壁に?」あまりにも馬鹿なことを言うものだから、俺も鼻で笑ってやった。「本気で訊いてんのかよ」
 俺には、真壁を裏切る理由がない。中島のように真壁にこき使われているわけでも、疎んでいるわけでもない。ただ楽しいから一緒にいる。それだけだ。まともに会話のできない我が家より、真壁の隣にいるほうが楽だった。内申点ばかり気にして良い子してる奴らなんかより、真壁のほうがずっと面白い。
「お前とずっと話してると、こっちまで根暗になるんだよ」
「残念。組んでくれるなら、少なくとも中島君みたいにならずに済むんだけどな」
 首から上が窓の外へ飛び出している状態なのに、井川は至極冷静だった。俺は言われたことの意味を考える。真壁の言っていたことも、あながち間違いじゃなかったらしい。
「中島が可笑しくなったのは、やっぱりお前が何か吹き込んだのか」
「正確には僕じゃない。僕の力さ」
「意味わかんねえ」
「わからないだろうね。でも」井川の細い指が俺の頬を撫でる。「直にわかるよ」
 指はそのまま顎へと落ち、首筋を辿った。指先から指のぬるい温度が伝わり、頬が熱くなる。俺を馬鹿にしているとしか思えない。いや、間違いなく馬鹿にされている。
 人が人の記憶を操るなんて、考えてみれば馬鹿げた話だ。しかし、井川ならやりかねないと思った。井川が実は人間じゃなかったと聞かされても、俺はきっと驚かないだろう。どう考えたってあれは、人間の成せる業じゃない。
 それでも俺は、それ以上井川を突き放すことができなかった。  

- continue -

2012/03/13