願い


―やあ、片割れ―

 闇の中で、突然背後から声をかけられた。驚いて振り向くと、そこには自分そっくりの少年が立っていた。
 赤紫の髪、赤い目、顔つきや体つき、身長。何から何までそっくりだ。
 少年はゆうきとは違い、にこにこと人の良さそうな笑みを浮かべていた。
「誰だよお前」
 ゆうきがそう尋ねても、少年は何も答えない。
 そのとき、自分の眼帯がないことに気づいた。やけに視界が広く感じていたのは、そのせいだったのだ。
 少年の赤い瞳が妖しく光る。

―俺は、お前の中の人間ではない部分だよ―

 少年はそう言った。人間ではない部分、という言葉の意味がわからなかった。こいつ何言ってんだ?

―俺たちは、ひとつの身体を二人、いや、一人と一匹で共有してたんだ。だからお互いに窮屈だった。そうだろう?―

「……どういうことだよ、それ」

 全くの初耳だ。

 少年の身体は次第に変化してきていた。全身を赤紫の毛が覆いつくし、右目が赤く染まっていく。身体が大きくなっていき、その大きさはゆうきの二倍ほどになった。
 少年だったそれは、低く唸るような声で言う。


―つまり、どっちかは不要ってわけさ―


 炎を身にまとった狐。否、狐というよりは、化け物と呼んだ方が正しいかもしれない。
 化け物は赤目を細め、ゆうきを睨みつけた。その瞳に射すくめられ、心臓の鼓動が早くなった。少しずつ後ずさりしていき、どうにかこの化け物から離れようとする。けれど上手く身体が動かない。動いた分だけ、化け物もこちらに歩み寄ってくる。
 逃げられない。
「くるな」
 思わずゆうきは叫んでいた。
「やめろ、こっちに来るな。俺は何も関係ない」
 化け物の鋭い爪が、ゆうきの胸元へと深く突き刺さる。生暖かい液体が身体から飛び散り、ゆうきは意識を失った。




 * * *




「ゆうき、ゆうき」
 誰かに呼ばれ、はっと目を覚ます。白い天井が目に入った。
 額ににじんだ汗をぬぐい、上体を起こす。どうやら保健室のベッドに寝かされていたようだ。
(あれは夢だったのか)
「ゆうき、随分うなされてたけど、大丈夫?」
 ベッドの脇で、雪菜が不安げにこちらを見ていた。
「……どうしてお前がここにいるんだよ」
「ゆうきが心配だったからに決まってるじゃない」
 さも当たり前のようにそう言い放つ雪菜に、ゆうきは驚き呆れた。何故そんなことを簡単に言えてしまうのだろう。
「俺のことはほっとけって言ってるだろ」
「ほっとけるわけないじゃない。だって、校舎裏に倒れてたのよ?」
 ゆうきは眉を顰めた。
「……お前、見てたのか?」
「うん。でも私が来た時には、既にゆうきは倒れてた」
 その言葉に安堵する。
 雪菜には知られたくなかった。巻き込みたくないし、余計な心配をされたくない。それに、知られると色々と面倒だ。
 ゆうきはベッドから降り、時計を見た。今はちょうど昼休み中だ。
「じゃ、俺行くから」
 そう言ってドアに手をかけたが、雪菜が呼び止めた。
「ちょっと、どうして何も言ってくれないの?」
 振り向くと、雪菜は強い眼差しをこちらに向けていた。ゆうきはその気迫に僅かにたじろいだが、すぐに平常心を取り戻す。
「……お前には関係ないだろ」
 保健室を静かに出る。背後でゆうきを呼び止める声が聞こえた。怒ったような、あるいは泣きそうな声に一瞬立ち止まりそうになったが、聞こえない振りをして廊下を歩いていった。




 * * *




 教室に戻ると、当たり前に教室内の全ての目がゆうきに集中する。
 ゆうきはその冷たい視線の数々を全く気にせず、悠々と自分の席についた。

 冷たい目。陰口。又は存在自体の無視。確かに居心地は悪いが、生まれてからずっと受けてきたものだ。慣れもする。これが自分の日常なのだから。

(それにしても……今日はいつもより視線が痛い……)

 皆、穴が空きそうなほどゆうきを見つめている。いつもと様子が違う。
 チャイムが鳴り始めると同時に教室のドアが開き、教師が顔を出す。

「席につけー。授業始めるぞー」

 生徒達はそれぞれの席に着き、教室のざわめきは徐々に静まっていった。雪菜もいつの間にか席についている。
 全員が席についたのを確かめると、教師は口を開いた。

「じゃあ、この前出した宿題の答え合わせするぞ。えー……八神」
「はい」

 ゆうきの返事に、教師はそちらを見る。途端に、教師の顔つきが変わった。

「あ………」
「……先生?」

 何だか様子がおかしい。ゆうきを見て瞠目し、言葉を失い、唖然と突っ立っている。周りの生徒達も、ゆうきを見てまたざわつきだした。雪菜でさえ、目を見開いて驚いている。

「どうかしたんですか?」

 教師にそう訊ねると、教師はハッと我に返り、恐る恐るといった感じでゆうきに訊ねた。

「八神」
「はい?」
「お前、なんで右目が赤く染まったみたいになってんだ?」

 一瞬、自分の耳を疑った。

『右目が赤く染まったみたいに』

 何度も頭の中で教師の言葉が木霊する。
 やっと言葉の意味が理解できたかと思うと、気づけば教室を飛び出していた。

「ゆうき!?」

 雪菜の声も、それをかき消すほどの教室のざわめきも、ゆうきには何も聞こえていなかった。
 廊下をひたすら走る。
 静かな廊下に、ゆうきの足音と荒い息遣いが響く。


(嘘だ)


『なんで右目が赤く染まったみたいになってんだ?』

(そんなわけない)


『お前、人じゃないよな?』


(違う、俺は人間だ!)


 トイレに駆け込み、鏡を覗き込む。
 そこに映った自分を見て、愕然とした。

 

- continue -