笑顔


 ベッドの上ですやすやと眠るゆうきの瞳からこぼれている涙をそっと拭う。
 普段決して弱みを見せないゆうきからは考えられないが、雪菜は知っていた。ゆうきは人を信じるということを知らない。誰にも自分の本心を見せようとしない。それは、あの日のことがあったから。大事な人に裏切られてから、ゆうきは今のようになってしまったのだ。
(そういえば、あの日も泣いてたっけ)
 ふと思い出すあの日の出来事。
“いっしょに、泣こう?”
 あの日の笑顔。
“母さん……?”
 あの日の涙。

 ずっと見ていた。ゆうきの傍で見てきた。
 けれど何も出来なかった。自分は結局、ただ見ていただけなのだ。




 * * *




 時は遡り、今から七年前の春。

「父さん、母さん、絶対おみやげ買ってきてね」
「はいはい。お爺ちゃんとお婆ちゃんの家でいい子にしてるのよ、雪菜」
「うん。雪菜、いい子にしてる」

 それは私がまだ五歳の時。
 あの日、運の悪いことに私は風邪をひいてしまい、家族三人での旅行に行けなくなった。
二人は旅行を中止しようと言ってくれたけど、私はそれを断った。せっかくだから、楽しんできてもらいたいと思ったのだ。
 そして私が粘った結果、私は祖父と祖母のところに預けられ、両親二人だけで旅行に行くことになった。
 今思えば、もしあの時無理やりにでも旅行についていったり、旅行を中止にしてもらっていたら、何か変わっていたのかもしれない。
 その三日後。
 父と母は飛行機事故で死んだ。私は、突然父親と母親を失ってしまった。




 * * *




 その後、私はそのまま祖父と祖母に引き取られることになった。

「元気出しなさい、雪菜。そんなに悲しんでたら、天国のお父さんとお母さんも悲しむわよ」
「悲しいのはみんな同じだ。でも、いつまでもそうやって悲しんでるわけにはいかんだろう」

 落ち込んで暫くはあまり外に出たがらなかった私を、祖父も祖母もそう言って何度も励ましてくれた。もちろん、祖父や祖母だって辛いのにだ。

「そうだ! 雪菜、気晴らしに近くの河原にでも行かないか?」

 ある日、祖父がそう言った。




 私と祖父は河原へ行った。すると、一本だけ立っている桜の木が目に止まった。

「きれい……」
「だろう?この桜は毎年綺麗に花を咲かすんだ」

 桜の木の下で祖父が自慢げに言った。

「さぁ、そろそろ帰ろうか」

 気がつけば夕方だった。だけど祖父が私の手を引いても、私は動かなかった。

「もうちょっとここにいる」
「……そうか」

 祖父はあっさりと私を置いて帰っていった。暗くなる前には帰ってくるんだぞ、と何回も念を押して。




 * * *




 茜色の空の下。私は桜の幹にもたれて桜を見上げていた。
 不意に涙がこみ上げる。
 どうして風邪なんかひいたんだろう。どうしてあの時自分の気持ちを優先しなかったんだろう。
 もう二度と父さんにも母さんにも会えないということが、幼い私にはとても酷だった。

「父さんと母さんのバカ……」

その時、突然強い風が吹いた。桜の花びらが夕焼けの空に舞う。
ひらひらと舞い落ちる花びらの向こうに、一人の男の子の姿が見えた。

「どうして泣いてるの?」

 もう一度男の子は訊ねた。私は男の子をまじまじと見つめる。

「……あなた、だぁれ?」

 その子は見たことの無い髪の色をしていた。目は左右で違う色。右目はこげ茶色、左目は真っ赤。
 その容姿に、私は強く惹かれた。

「ぼくは、ゆうき。八神ゆうき。きみは?」
「……雪菜。旭雪菜」

 出会ったばかりのゆうきに、私は両親のことを全て打ち明けた。ゆうきは相槌をうちながら最後まで静かに聞いてくれた。
 そして私が全てを話し終えると、静かにこう言った。

「ぼくには、雪菜のきもちはわからない。でも、今は泣いてもいいんじゃないかな」
「え?」
「つらいときは、思いっきり泣けばいい。だからね……」

 突然ゆうきは、ふわりと私を抱きしめた。私はびっくりして固まる。
 ちらりと顔を見上げると、ゆうきは穏やかに笑ってこう続けた。

「いっしょに、泣こう?」

 その笑顔を見て、今まで自分の中に溜め込んでいたものが一気にこみ上げてきて。
 私はゆうきの胸を借りて、日が沈むまで思い切り泣いた。ゆうきは黙って、背中をさすってくれていた。
 それが、私とゆうきの出逢い。




 * * *




 それがきっかけで私達は仲良くなり、よく遊ぶようになった。
 遊ぶようになり、一緒にいる時間が増えたことで、私はふと気づいた。
 ゆうきには私以外に友達が一人もいなかったのだ。
 私はそのことを不思議に思って、ゆうきに訊いてみたことがある。

『ゆうき、どうして他の子と遊ばないの?』

 すると、ゆうきは笑ってこう答えた。

『他に友達がいないからだよ』

 何故あの時笑っていたのかは分からない。もしかしたら、私に自分の弱い部分を見られたくなかったのかもしれない。
 そしてもう一つ気づいたのは、私にとって両親が全てだったように、ゆうきにとっては母親が全てだということ。
 そのことに気づいたのは、あの日の事件があったからだ。

 今でも時々考える。あの日、いつも通りに一日が終わっていたら、今頃はもっと違っていたんじゃないかと。それほどゆうきに大きなショックを与えたのだ。
 まだ幼いゆうきが背負い込むには、あまりに重すぎるものだったと思う。

 

- continue -