復讐


 闇の中に、低いしわがれ声が響いた。
――目覚めよ 炎狐
(……誰だ?)
――時は満ちた
 この声、どこかで聞いたような気がする。
――さあ 今こそ真の力を
 真の力?
――母の敵をとるため
 母さんの……?
 ああそうだ、母さんをあのアヤカシに……。
――戦え
 何の為に? 何故?
――それが炎狐の宿命だから
 俺の、宿命?


 * * *


 水の中で、八神ゆうきは眠っていた。いや、眠るように死んでいた、といった方が正しいか。
 場所は教室から別次元へと移動し、ここは完全に人間界とはかけ離れた場所。
 ここでこいつがこのまま死んでしまえば、もう任務は達成したも同然だ。
 ざまあみろ。
 やっと、解放されるのだ。俺は、妖界での存在価値を、ようやく認めてもらえるのだ。
 ざまあみろ。ざまあみろ、八神ゆうき!
 そう喜んでいたときだった。ふと、獣の唸るような声が聞こえた。
「誰に、認めてもらえるんだ?」
 はっとして八神ゆうきのいた方を見た。が、誰もいない。
「ここだよ」
 すぐ後ろから声が聞こえ、水陀はゆっくりと振り向いた。目の前に真っ赤な二つの目があった。その目は、じっとこちらを見据えている。
―何故だ!―
 思わずのけぞり、水蛇は叫んだ。
―何故俺の居場所が分かった。それに、どうして平然としていられる―
 ゆうきは不敵に笑った。
「お前、気づかないのか?」
 そう言われ、水蛇は八神ゆうきの妖気が以前の何十倍にも増していることにようやく気づいた。
 それに、その口の両端からは牙が覗き、爪は鋭く伸び、身体全体は炎が造り出した狐の形に変化している。
「さあ、どう殺してほしい?」
 八神ゆうきがにやりと笑んだ。その目つきが更に鋭くなり、体中の炎が勢いを増して燃え上がる。
「母さんを殺したお前を、俺は絶対に赦さない」
 その次の瞬間。
 気がつくと水蛇の頭から勢いよく血が吹き出していた。
 これは人間の体だ、俺が死ねばこいつも死ぬぞ!
 水蛇はそう脅してやろうと思ったが、その前に幻覚が解けてしまい、空間が歪んだ。


 * * *


 長い長い、夢を見ていた。
 ノバは、真っ白な空間に一人、ふわふわと浮かんでいた。浮かびながら、ひとつの声を聞いていた。
――殺せ
――八神ゆうきを 殺せ
 そんな声がずっと白い空間の中を流れていき、ノバはただ、それをぼんやりと聞いていた。頭が働かなかった。
 唐突に声が止む。かと思うと、再び別の声が聞こえた。
――……お前を、必ず殺す
 それを聞き、ノバの背筋が凍った。
 その後急に辺りが真っ赤に染まったかと思うと、背中に何か固いものがぶつかる。
 そしていつの間にか、ノバは知らない場所に倒れていたのだった。
「ここは……」
 ゆっくりと立ち上がる。身体の節々が痛み、額からは血が流れていたが、傷はどれも浅かった。
 ここはどうやら河原の土手のようだ。少し向こうに、一本だけ桜の木が見える。もう夕方のようで、空は茜色に染まっていた。
(どうしてこんなところに?)
 確か学校の屋上で、蛇野郎と戦っていたはずだ。しかし、それ以降の記憶が無い。真っ白だ。
 その時、桜の木の付近に、誰かが立っていることに気づいた。よく目を凝らしてみると、それは人ではなくアヤカシだった。
 二匹のアヤカシは向かい合っていた。何か話しているようだが、ここからではよく聞こえない。
 それでも耳をそばだてて聞いていると、なんとなく話の内容が分かってきた。


 * * *


「お前が母さんを殺したんだ」
 ゆうきは言った。
「母さんは、苦しんでたんだ。苦しんで苦しんで……それでも最後に俺を生かしてくれた」
 何があっても生きろと。そう言ってくれた。
「……でも俺は、このままじゃ気が済まない。お前に母さんと同じように苦しんでもらわないと、気が済まない。……分かってんだろ? こうなるって分かってて、俺に真実を見せたんだろう?」
―違う! 俺はただお前を陥れたかっただけだ。事実を知れば、お前は絶望する。そう思ったのに!―
「もういい。黙れ」
 ゆうきは一歩アヤカシへと近づく。
「言い訳なんて聞きたくない」


 * * *


 目の前の光景を、何かの間違いではないかと疑った。
 身体中の震えが止まらない。生唾をごくりと飲みこむ。
(化け物だ)
 今、目の前で繰り広げられている戦い。これを止めるなんて、俺には出来ない。今の俺が行っても殺されるだけだ。
 そう、あの化け物――八神ゆうきに。

 

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