深夜の図書館にて
チクタクと時計の針の音が響く。紙のこすれる音が耳触り良く、俺はうつらうつらと瞼を閉じかけていた。深夜の図書館は、とても静かだ。なぜこんな時間に図書館にいるのかというと、視界の斜め右にいる女の姿を見るためだ。黒縁の眼鏡をかけた黒髪ショートボブの彼女は、いつも水曜日のこの時間まで何やら熱心に本を読んでいる。初めて彼女を見た瞬間から、俺の頭の中は彼女でいっぱいだった。俺は分厚い動物事典に目を通す振りをしながら、彼女に目をやる。彼女はどうやら調べものをしているらしく、高々と本を積み上げて書き物をしていた。
生唾をごくりと飲み込む。今日こそ彼女に想いを伝えなければ。
あの、と声をかけると彼女がゆっくりと顔を上げた。電球の光がメガネに反射して、彼女の顔がよく見えない。俺はひとつ深く息を吸って、口を開く。
「良かったら、隣いいですか」
夜遅くの図書館には俺と彼女しかいない。これじゃあ俺が不審者じゃないか。少しでも彼女の不信感を取り除こうと、慌てて「あまり帰りが遅くなると、危ないですよ」と付け足す。
彼女はじっと俺の様子を観察するように眺めていたが、やがて口角を少し上げて「ご親切にどうも」と言った。そして会話が途切れ、再び館内に静寂が戻る。
「ここへはよく来られるんですか」
と、ベタなことを聞いてみる。本当はよく知っている。毎週水曜の夕方頃に来てますよね。
「ええ。この深夜の静けさが好きなんです」と彼女が言う。
「俺もなんです。いいですよね、この雰囲気。本に囲まれていると落ち着きます」
問いかけに返事があったことで気分が高揚し、思わず口元が緩む。いいぞ、これならいける。しかしそこで俺たちの会話を遮ったのはカウンターに座るおじいちゃん司書だった。おじいちゃん司書はごほんとわざとらしく咳き込み、こちらを睨む。だからそれ以上会話を続行することは難しかった。けれどもそこで諦める俺じゃない。せめて、せめて連絡先だけでも。
自分のジャケットの裏をごそごそと探していると、しわくちゃのレシートが見つかった。ここへ来る前に丸間書店でジャンプを購入したときのものだ。この際だから何だっていい。俺はレシートの裏にボールペンを走らせ、自分のメールアドレスを書いた。その下に「よかったら連絡してください」と付け加える。
「あの」と小声で話しかけ、彼女の前にレシートを置くと、彼女はレシートと俺とを不思議そうに見比べていた。しかしやがてその意味に気づいたのか噴き出し、くっくと喉の奥を鳴らして笑う。とても可愛らしい。俺の心臓は益々煩くなった。机の下で握る手の内に、じんわりと汗が滲む。ここで決めなきゃ、男じゃない。
彼女はレシートに何やら書き込み、俺に差し出す。
「気持ち悪いです」
右肩上がりの丸っこい文字で書かれたその一文は、完膚なきまでに俺の心を叩きのめしたのだった。
- end -
2012/02/09