未来改革

「いとこ同士の恋愛ってあり?」
 私はぼりぼりとポテチをほおばりながら明子に問う。明子はクルクルと自分の長い髪を弄びながら、うーんと唸った。
「ない」
 きっぱりと言われ、少しへこむ。やはり普通はあり得ないのだ。そもそも、好きになるべきじゃなかった。何であんな奴を好きになってしまったんだろう。
「由紀、いとこに恋してるの?」
 明子の率直な問いに、思わず私はむせた。慌ててお茶を流し込む。
「そうよ、悪い?」
「誰も悪いなんて言ってないよ」
 明子は苦笑した。何だか自分が子どもっぽく思えて恥ずかしくなる。私はポテチを食べることに専念しようと思い、大量のポテチを一気に噛み砕いた。大きな音が教室に響く。
「おいおい、女子がたてる音じゃねえぞ、それ」
 不意に第三者の手が伸び、ポテチの袋を掻っ攫う。見ると、隣のクラスの雅也がいつの間にか立っていた。
「ちょ、勝手に食うな! 私の!」明子が手を伸ばしてポテチを取り返そうとするが、雅也は悠々とポテチをほおばる。ああ限定版の牡蠣味がどんどん消えていく。
 雅也はポテチを貪りながら口角をつり上げた。切れ長の目がおどけたように見開かれる。
「ひいはん、ほえふあい」
「飲み込んでから喋りなさい」
 明子が雅也の背中を叩いて怒る。私は二人のやり取りを眺め、今日も平和だなと思った。この二人は私みたいに色恋沙汰でうじうじ悩んだりしないのだろう。
「ねえ、雅也ならどうする? いとこに恋したら」
 私が何となく尋ねると、雅也は暫く考え込む様子を見せた。その間もポテチの袋を取り戻そうとする明子を退け、ポテチを食べ続ける。器用な奴だ。
「どうするも何も、好きなら告白すればいいだろ」
「雅也らしいね」
「ま、考えるより先に行動だよ」
 そう言ってのけた雅也は、明子に空っぽの袋を返すと教室を出て行った。
「ちょっと、ポテチ代弁償しろ馬鹿!」
 明子がいきり立って雅也を追いかける。そうして一人残された私は、深くため息をついた。多分あの二人に相談しようと思った私が馬鹿だったのだろう。

 *

 年に一度、父の実家に親戚が集まる。彼に会える唯一の機会だ。
 長時間車に揺られて酔ってしまった私は、車から降りると深く息を吸い込んだ。車の外は、一面真っ白な銀世界だった。新鮮な空気がおいしい。
「よう、久しぶり」
 不意に頭に手を乗せられ、驚いて振り向く。そこには私の大好きな従兄がいた。人懐こい笑みにつられ、私も笑う。
「哲、また身長伸びた?」
「ああ、そうかも。お前ちっちゃくなったな」
 従兄の哲はからかうように言って私の頭を撫でた。何だか子ども扱いされているみたいで、面白くない。
「子ども扱いしないで。私だってもう十七なんだから」
 私がむくれると、哲は笑って私の頭をかき乱した。
「俺からしたら、まだまだガキだよ」
 一つしか違わないのに何だか偉そうだ。それに、ガキ扱いされるということは恋愛対象として見られていないということで、やっぱり悔しい。
「そういえば、大学はもう決まったの?」
 私が尋ねると、哲は嬉しそうに目を輝かせた。
「ああ、北海道の大学に決まった」
 私はしばし呆然とした。北海道なんて、あまりにも遠すぎる。これ以上距離が開けば、哲はもっと遠くへ行ってしまう。ただでさえ年に一度しか会えないというのに、冗談じゃない。
「じゃあ、来年はここにいないの?」
「さあ。まだ細かいことはよく分かんねえ」
 ま、お前も受験頑張れよ。
 哲はそう言って家の中へ入っていった。一人取り残された私は空を仰ぎ見る。
 空ってこんなに青かったっけ。涙が出そうになった。

 私は一つ決心した。今年こそ、哲に告白しよう。可能性はゼロに近いが、あわよくば恋人になれるかもしれない。このラストチャンス、何もせずに終わらせたくない。雅也だって言ってたじゃないか、「好きなら告白すればいい」と。
 大人たちは違う部屋でテレビを取り囲み、紅白を見ながら談笑している。そんな中、私は哲の部屋でバラエティ番組を見ていた。そう、二人きりでだ。
 バラエティ番組を見て笑う私の横で、哲は興味がないのか本を読んでいた。普段かけない黒縁眼鏡がとても良く似合っていて、かっこいい。じゃなくて。
 言うなら今しかないのだ。
「ねえ、哲」
「ん?」
 私が呼ぶと、哲は本から目を離さず返事をする。
「ちょっと話があるんだけど」
「何だよ」
 心臓の高鳴りを必死に静めようとするが、治まらない。顔が熱い。いざとなると、どうしてこんなに緊張してしまうんだろう。自分の小心ぶりが憎い。
「私、哲のことが好きです」
 まさかこんな青臭い台詞を吐く日が来るなんて思わなかった。声が震えてしまったのは、仕方ないと思う。哲は持っていた本がばさりと床に落とし、唖然と私を見た。しかしすぐにその顔が朱に染まっていくのを見て、私の顔にも更に熱が集まる。
「マジで?」
「マジです」
「え、ラブのほう?」
「ラブのほうです」
 テレビの中で人々が楽しげに笑う。相反して沈黙する私たちの間に、気まずい空気が流れた。
 哲は暫く視線をあちらこちらに彷徨わせていたが、やがて困った顔で私を見る。
「ごめん。お前のことは、そういう目で見れない」
 その言葉を聞いて泣きたくなった。そしてすぐに後悔した。なぜ気持ちを抑えきれなかったのだろう。哲を困らせるのは目に見えていた。断られることも分かっていたのに。私はどうしようもない馬鹿だ。
 目頭が熱くなり、視界が滲む。
「そっか。分かった」
「ほんとごめん」
「いや、良いよ。私こそ、いきなりごめんね」
 俯いたままそう返し、私はそそくさと部屋を出た。笑顔を作る余裕なんてなかった。廊下を走り、洗面所へ急ぐ。
 鏡越しの私は酷い顔をしていた。涙でぐちゃぐちゃになった顔に冷水を浴びせると、火照った顔が冷めて少し冷静になれた。
 自分が酷く惨めだった。

 *

 冬休みが終わっても、私の気分は晴れなかった。
「休み明けからどうしたのよ、変な顔して」
 昼食のお弁当を食べていると、明子にそう言われてしまった。普通にしていたつもりだったが、どうやら顔に出ていたらしい。
「そんなに酷い顔してる?」
「うん、してる」
 何があったの? といつになく心配そうな明子の顔を見て、先日の悪夢を思い出した私はまた泣きそうになる。
「振られた」
「前言ってた、いとこに?」
「うん。もうやだ死にたい」
 泣き顔を見られたくなくて、机に突っ伏す。このまま机と同化してしまいたい。
「まあ、元気出しなって。男なんていくらでもいるじゃん。またいい人見つかるよきっと」
 適当なことを言って励ます明子に少しいらついた。私の「いい人」は哲だけだったのだ。世界中いくら探しても二度と見つかるものか。
 机に突っ伏したまま反応しない私を見かねてか、明子が席を立つ気配がした。

 しばらくして、明子が教室に戻ってきた。何故か後ろに雅也がいた。明子が雅也の腕を掴み、無理やり引っ張ってきたようだ。
「もうすぐ昼休み終わるよ」
「そんなことより雅也を謝らせるほうが大事」
 明子はそう言ってにっこり笑った。雅也はその後ろで浮かない顔をしている。
 何故雅也が謝るのだろう。疑問に思う私そっちのけで、二人は話を進める。
「ほら、雅也」明子が雅也を強く押し、私の前に立たせた。椅子に座っている私は、自然と雅也を見上げる形になる。
「ごめん。俺があんなこと言ったせいで、失恋させて」
 そう言われ、そういえば雅也が「好きなら告白すればいい」とか何とか言っていたことを思い出した。いや、だからなんで雅也が謝る。
「謝らなくていい。雅也のせいじゃないよ。私が自分でやったことだから」
 私がそう返すと、雅也の眉間に皺が寄る。雅也は無言で私の頭に手をのせ、乱暴に撫でた。手のひらから体温が伝わり、目頭を熱くする。うっかり友達の前で泣いてしまったのは、これが初めてだった。

 *

 白い天井が目に入り、ゆっくりと辺りを見回す。私の部屋だった。
 あれ? さっきのは夢か。
 携帯を開くと、日付は十二月三十一日。戻っている。
 じゃあ、夢か。夢かよ。
 私は激しい倦怠感に襲われた。あれだけつらい思いをしたのが全て幻だったなんて、ひどい。ベッドに再び寝転び、枕に顔を押し付けた。ああ何てこった。しかし、少しだけ安堵した。あれは夢だったのだ。私はもう一度、やり直すことができるのだ。
 告白なんて大それたことをするのが間違いだった。今を維持しよう。哲とは、兄妹のような関係のままでいよう。そうすれば夢で見たような、気まずい関係にはならずに済む。その代わり進展することもないが、あまり高望みをしてはいけない。付かず離れずの関係の、どこが悪い。
 やり直すのは気力が必要だが、あの後悔に比べたら何てことはない。今度こそ、納得のいく未来にしてみせよう。私はそう決意した。

 *

 そしてやって来た父の実家。私は哲と二度目の再会を果たした。いや、あれは夢だったのだからこれが一度目なのか。まあ、それはどうでもいい。
 とにかくいつも通りに振舞おう。哲とはこのままの関係でいよう。
「よう、久しぶり」
「哲……また身長伸びた?」
 前もこんな会話したような気がするが、それでも哲との会話は楽しかった。夢と現実とで二度も同じような体験をするなんて、不思議なこともあるもんだ。

 *

 哲は北海道の大学に合格し、私は哲と何の進展もなく冬休みを終えた。夢で見たとおり、哲が北海道の大学に進学することには驚いた。何という奇跡だ。こんな奇跡ちっとも嬉しくない。
 そして私は自分の大きな失態に気づく。
「連絡先ぐらい訊いとけば良かった……」
 机に突っ伏し嘆く私を、明子と雅也が慰める。この構図も二度目だ。
「まあ、元気出しなよ。男なんて世の中いくらでもいるんだから」
「前もそんなこと言われた」私の呟きを聞き取った明子に何故か殴られる。その際に鼻を強く机に打ちつけてしまい、悶える羽目になった。
「今度クレープでも奢ってあげるからさ、いつまでもウジウジしないの」
 じゃ、私バイトあるから。明子はそう言って教室を出て行った。つれない友達である。
 気づけば教室には私と雅也以外誰もいなくなっていた。随分長い時間泣いていたらしい。雅也に悪いことしたな。
 涙を拭って顔を上げると、雅也はうすら笑いを浮かべて私を見ていた。
「お前、すごい顔になってる」
「うるさい」
 慰める気ゼロである。私が適当にハンカチで顔を拭っていると、雅也がティッシュを差し出してくれた。遠慮なくそれを使って鼻をかむ。雅也はそんな私を見てまた笑った。
「雅也、私のこと笑いに来たの?」
「そんなことないよ。一人で泣くより誰かが一緒にいたほうがいいだろうと思ったんだ」
「ほんとかよ」
「ほんとだよ」
 その割にうすら笑いが取れてない。何なんだこいつ。
「もう帰っていいよ。私一人で泣くから」
「いや、一人で泣くからって言われて帰れるほど薄情じゃないよ俺は」
 雅也はそう言って私の頭を乱暴に撫でた。優しい雅也が気持ち悪くて「セクハラ」と言ったら叩かれた。
 なんだかんだ言いながらここにいてくれるのが雅也なりの優しさなんだろう。分かっているが、口に出すのは躊躇う。私たちはそういうことを素直に伝えられるような関係じゃない。それでも「ありがとね」と呟くと、やっぱり変な顔をされた。照れているのか、呆れているのか、引いているのか。よく分からないが、とりあえず礼は言った。
「一緒にいてくれてありがとう」
 何となく照れくさくて頬が熱くなった。でも雅也も同じような顔をしていたので、まあ良いか。
 空が茜色から藍色へと変わっていくのを見て、そろそろ帰ろうと思い立ち上がる。帰って冷蔵庫の奥に隠しておいたプリンでも食べよう。
「由紀」
 不意に名前を呼ばれる。腕を掴まれ、私は再び強制的に座らされた。
「何」せっかく気持ちに整理をつけようとしているのに、まだ何かあるのか。
「こんな時に言うのもアレだけどさ」
 雅也の目が真っ直ぐ私を捉える。私の腕を掴む手が、僅かに震えていた。
 妙な空気だ。こういう空気は苦手だ。真面目な顔して真面目なことを言われるのは慣れていない。それなのに、雅也から目を逸らせなかった。
 雅也が一呼吸置いて、俺さ、と口を開く。

 *

「起きなさい馬鹿ちん!」
 頭に激痛が走り、私は目を覚ました。あれ、また夢か。いい加減にしてくれよ。せめて雅也の言葉を最後まで聞いてから起きたかった。
「何すんのよぉ」後頭部をさすりながら母を見ると、母がフライパン片手に仁王立ちしていた。その顔は般若の如く歪んでいる。
「今日はおばあちゃんちに行く日だって、昨日言ったでしょう。いつまでも寝てないで、さっさと準備しなさい」
 そう言って慌しく部屋を出て行く母を呆然と見送り、脳内で母の言葉を反芻する。
 父の実家に帰る? そんなこと聞いていない。
 ベッドの脇に置いてあった携帯を開いて、私は目を疑った。携帯のカレンダーは確かに十二月三十一日を示していた。デジャヴだ。
 とにもかくにも哲が北海道に行ってしまうのが夢だったと分かり、安堵すると同時に不安に思った。もしかすると、これは正夢というやつじゃなかろうか。哲は本当に北海道に行ってしまうのかもしれない。
 だとすれば、私に何が出来る?
 遮光カーテンを開けて日光を浴びながら、私は考えた。これはきっと、神様のお告げだ。哲に何かしらのアタックをせよという助言なのだ。多分。

 *

 その後父の実家に行き、哲が北海道の大学へ行くと分かったときは本当に驚いた。それと同時に確信した。やはりあれは正夢だったのだ。
 私は哲に告白をしなかった。夢で一度振られていたし、現実的に考えて私と哲が付き合える可能性なんてゼロに等しい。だから哲と連絡先を交換するのみに留めた。夢では連絡先すら交換できていなかったことを考えれば、これは大きな進歩だ。
 焦ってはいけない。これから少しずつアピールしていこう。
「で、どんなやり取りしてんの?」
 学校までの道のりを並んで歩きながら、明子が私を見る。私は襲いくる眠気に耐えながら欠伸を漏らした。朝日が眩しい。最近メールの文面で悩みすぎて、あまり眠れていなかった。
「うーん……色々」
「だから具体的にどんな感じなのよ」
「なんで教えなきゃいけないの」
「だって心配じゃん」
 本当にそれだけなのだろうか。明子の目が爛々と輝いて見える。間違いなく興味本位だ。
「絶対教えない」私がそう言うと明子は頬を膨らました。全然可愛くない。
 ポケットの中で携帯がぶるぶると震えた。哲からだ。画面を開くと明子が覗き込もうとしたので、軽くデコピンしてやった。
――暇。今何してる?
 内容はそれだけだった。絵文字や顔文字は一切ない、シンプルな文面だ。それでも哲のほうからメールをくれたのは初めてだったので、つい顔がにやけた。「どうしたの。気持ち悪い顔して」なんて明子に言われたって気にならない。
 私は携帯を明子の目から遠ざけながら、ポチポチと返事を打った。手がかじかんで上手く打てないのがじれったい。

 *

 その後適当に授業をやり過ごし、家に帰ると部屋に閉じこもってひたすらメールを打った。
 何故哲のほうからメールをくれなかったのか尋ねてみると、色々あってメールする元気が無かったのだという。一体何があったのだろう。
 私はそれとなく探ってみようと思い、遠回しに話題を振ってみた。
――春から北海道だし、準備とか色々忙しそうだね。
――準備もだけどさ、他にも色々あって。
――色々って?
――ガキのお前にはまだ早いことだよ。
 やり取りの中で、一つの仮定に辿りつく。まさか、恋とか愛とかいう類の悩みを抱えているのか。あの哲が? だとすれば、私はこのメールにどう返信すればいいんだ。
 私は悩みに悩んだ末に、直球で返した。
――哲、好きな人いるの?
 母さんがドアの外で私を呼んでいる。ごはん食べて一旦気持ちをリセットしようか。
 母に返事をしつつも、私はベッドを動かず返信を待った。携帯を持つ手が震える。これで「うん」とか「まあね」だったら今日の夕食はめいっぱい食べよう。食べて忘れよう。
 メールは五分も経たないうちに来た。サブディスプレイに表示された「哲」の文字を確認し、恐る恐る画面を開く。
――なんでお前にそんなこと教えなきゃいけないんだよ。
 一旦携帯を閉じた。これ以上メールを続ける勇気がなかった。考えを振り払うようにため息を零す。
 心臓の鼓動はいつの間にか正常になっていた。でも虚しくなった。私が哲のことで一喜一憂していても、哲にとっては他人事なのだ。同時に、哲のことも私には他人事なのだから関わるなと、言外にそう言われているような気がする。
 いやもしかすると、これも夢なのかもしれない。目覚めればまた、大晦日からやり直せる。そうであって欲しい。

 *

 私は期待していたのだが、残念なことにいくら待てども目が覚めることは無かった。つまりこれは紛れもなく現実で、哲のあのメールも虚構などではなかったのだ。もう一週間以上経過したが、未だにやり取りは途絶えたままだった。
「いい加減疲れた。人生に」
 キャラメルカプチーノを啜りながらそう零す私を、明子が胡散臭い顔で見る。
 日曜の喫茶店はそれほど混んでおらず、店に流れるBGMに癒されつつ私たちはゆったりとした時間を過ごしていた。
「どうしたの急に。またアイツか。アイツに悩まされてんのか」
 いい加減諦めろって、と呆れ顔で言われる。出来ることならとっくに諦めている。それが出来ないから困っているのだ。
「もっと身近な奴と恋すればいいのよ。もっと気楽にさ」
 その口にチーズケーキの大きな一切れが運ばれていく。
「身近な奴って?」私が尋ねると、明子はもぐもぐと口を動かしながら悪女のような笑みを見せた。
「たとえば、雅也とか」
「いや、それはない。ありえない」
「ふーん?」明子の楽しげな様子に、つい眉間に皺が寄る。
「雅也はただの友達。つか、なんであいつ?」
「あ、気づいてないんだ」
 気づいてないって、何にだ。私がそう問いかけても、明子はただ笑っていた。

 その後、担任の教師が最近禿げてきたとか一組のAさんがB君に告白したらしいとか、他愛ない話を延々として別れた。別れ際に「今日、雅也に電話してやりな」と言われたが、何故雅也にそこまで拘るのだろう。明日学校で会うのだから必要ないと思ったが、たまには電話してみるのも悪くない。
 私は家までの道のりを歩きながら、早速雅也に電話をかけた。
「もしもし雅也?」
「ふぁい。何?」欠伸を漏らしながら電話に出た雅也に、声を出して笑った。それが気に食わなかったのか、少しムッとしたように再び「何だよ」と問われる。
「いや、特に用はないんだけど、何となく」
「用もないのにかけてくんな。俺はこれから魔界の谷まで竜退治に行くんだ」
 受話器越しにボタンを連打する音が聞こえてくる。なるほど確かにゲームに勤しんでいるようだ。この野郎、友人からの電話よりゲーム優先か。
「暇なんだよ。少しくらい話し相手になってくれたっていいじゃん」
 私がそう言うと、少し沈黙した後で「まあ、別にいいけど」という答えが返ってきた。その間もコントローラーの操作音が絶えることはない。
「実は遠回しに振られちゃってさ」
 ずばり言ってみると、雅也は一瞬沈黙した。しかしすぐに「へえ」という答えが返ってくる。
「いや、『へえ』以外に何かないの」
「まあ元気出せよ」
「心無いな」
「そんなことない。俺はお前の恋が実らなかったことに心から同情している」
「ほんとかよ」
「ほんとだよ」
 そんなやり取りをしているうちに悩んでいた自分がバカバカしくなって、私はまた笑った。雅也の声を聞いて、ほっとした自分がいた。持つべきものはやはり友達だ。
「まあいいや。じゃあ、また学校でね」
 私がそう言って電話を切ろうとしたとき、「ちょっと待てよ」と慌てたような声が聞こえた。
「何? 竜退治に行くんでしょ。邪魔者は消えるって」
「いや、どうせなら一緒に行こう」
「は?」言われたことの意味がよく分からず、つい素っ頓狂な声が出てしまった。
「だから、今からうちに来て」
「やだ。何で私が」
「ついでに晩飯も食べてっていいからさ」
「あ、じゃあ行く」
 雅也ママの料理を食べれるのならば話は別だ。竜だろうが魔王だろうが退治してやろうじゃないか。
「今矢島通りにいるから、あと五分で着くよ。じゃ」
 そう伝えると、今度こそ電話を切った。
 もう日が沈みかけているが、雅也の家に行くのならば問題ないだろう。母に「雅也の家で夕飯ご馳走になる」とメールを送り、少し足を速めた。

 *

 インターホンを押して待っていると、しばらくして笑顔の雅也ママが出迎えてくれた。今日もピンクのふりふりエプロンがよく似合う。人懐こい笑みを浮かべる雅也ママを見て、私も自然と笑顔になった。
「由紀ちゃん、久しぶり」
「こんばんは。お邪魔します」
「外は寒かったでしょう。どうぞ上がって」
 そう言われ、遠慮なく家に上がらせてもらう。感覚のなかった両手に血が巡っていくのを感じ、ほっと息を吐いた。

「早かったな」
 部屋に行くと、こちらを見向きもせず雅也はピコピコとゲームに励んでいた。その画面には血まみれのゾンビが映っている。竜退治はどうした。
 私の疑問を汲み取ったように、雅也がああと声を漏らした。
「さっき言ってたやつは、もうクリアしたんだ。これ違うやつ」
「私を呼んだ意味ないじゃん」
「いや、これ一緒にやろうよ」
「やだよ。夕食の準備手伝ってくる」
 そう言って部屋を出ようとした私の手首を、雅也が掴む。
「待って待って。ゲームやるためだけに呼んだんじゃねぇよ」
 真剣な顔でそう言われ、私は足蹴にするべきかどうか本気で迷った。
「じゃあ何のために呼んだの」と訊いてみると、雅也は目を伏せて「話がしたかったから」と答える。その声は聞き逃してしまいそうなほど小さかった。いつものこいつなら考えられない。
「いとこなんかより、俺といたほうが楽しいよ」
 雅也は独り言のようにぽつりと呟いた。その頬はうっすらと赤みを帯びている。
 訳が分からない。何故、そうなる。
「俺じゃダメ?」
 顔を上げた雅也と私の視線がぶつかる。掴まれた手首から、雅也の緊張が伝わってくる。こいつ、震えてる。私はそれを鼻で笑ってやろうとしたが、顔の筋肉が引きつって上手く笑えなかった。
 この空気、デジャヴだ。
 明子が言っていたのはこういうことだったのか。出来れば気づかないままでいたかった。冗談にしては笑えない。
「雅也。私の傷口抉って楽しい?」
 そのバカ面蹴飛ばされたくなかったら、今すぐこの手を離して。
 私がそう言うと、雅也の眉間に皺が寄る。私は、彼がため息をついて「もういい」と言ってくれるのを待つ。しかし予想は裏切られ、私の視界はぐらついた。手首を掴んだまま、雅也はその手を引いたのだ。
 雅也の顔がすぐ目の前に迫り、片方の手が私の頬に触れる。
「言っとくけど、冗談じゃないから」
「やめてよ気持ち悪い」
 私は顔を背け、その手から逃れた。
 雅也が私に恋愛感情を抱いているなんて、あり得ない。私と明子と雅也の三人は幼い頃からの腐れ縁だ。そんな関係だったのに、今更好きとかなんとか言われても、ぴんと来ない。きっとこれは夢で、気がつくといつもみたいにベッドで寝ているのだろう。今まで起きたことが全部リセットされて、また一から全部やり直せるに違いない。頼むからそうであってくれ。
 雅也はしばらくして「ごめん」と言って手を離した。私は恥ずかしさと気まずさで顔を見ることができなかった。
「じゃあ、またやり直さなきゃ」
 私はその言葉に違和感を感じて顔を上げる。雅也は真剣な面持ちでじっと私を見ていて、普段と違う様子に胸騒ぎを覚えた。
 何か変だ。
「やり直すって何を?」
 そう尋ねても、雅也は何も答えない。
「ねえ、どうしたの。雅也さっきから変だよ」
「別にいつもと変わんねぇよ」そう言って雅也は口の片端をつり上げる。でもその目はちっとも笑っていなくて、少し怖くなった。私の知っている雅也は、こんな顔で笑ったりしない。
「由紀だって、もう一度いとこにアタックするチャンスあったら嬉しいだろ?」
 雅也はそう言って目を細めた。私は呆然と雅也を見上げる。よく分からない。「もう一度」とは何だ。
 雅也、と声を出す前に、私の意識は朦朧とし始めた。瞼が次第に下がっていき、視界がぼやける。身体が傾きかけたとき背中に手が回り、支えられているのだと分かった。
「何度だってやり直せばいい。ただし、俺の納得のいく未来になるまでだけど」
 茶化すようにそう告げる雅也の笑みが、一瞬泣きそうに歪んだ。
 何がおかしいかと問われれば、全部おかしい。何故“やり直し”のことを知っているのか、何故そんな顔をするのか。
 困惑する私の頬に、雅也がキスをした。
「大好きだよ」
 ああそうか、彼も私と同じなのだ。  

- end -

2011/03/30