老い桜

 桜は風を恐れていた。夜の風に吹かれ、花びらを辺りに撒き散らしながら、一人怯えていた。
 いつ、この綺麗な花びらが全て散ってしまうのだろう。
 そう考えると、いつも恐ろしくなるのだ。花が散れば、誰も自分を見ようとしない。枝のみのこざっぱりとした姿をさらけ出してしまうことになるのだ。考えるだけで恥ずかしくて堪らなくなる。
 どうせなら、この花が夏模様に衣替えをするまで待って欲しい。けれど春風の冷酷さときたら!

(待って、待って。もう少し待って)

 桜は春風に語りかける。春風は暖かな日差しと共に優しく桜を揺らす。
 桜の花びらがまたひとつ、地面に落ちた。

(おや?)

 桜は違和感に気づいた。春風の優しさといったら、この上ないほどだったのに、また花が落ちた。
 これは一体どういうことなのだろう。
 花びらがまたひとつ、地面に落ちる。桜の木は、もうほとんど裸に近くなっていた。
 ああ、また落ちた。

 地面が桜色に覆われていく。桜の木とは対照的で、それはとても美しかった。

「ねえママ、見て」

 一人の女の子が桜を指差して母に語りかける。

「あの桜、もう花が散ってるよ」

 女の子がそう言うと、母親は桜の木を見上げて笑った。
「そうね、随分せっかちな桜ね」

 桜は思った。
 ああ、恥ずかしい。
 もっと綺麗な姿を、この二人に見せたかったなあ。



 ***



 春が終わり、初夏の頃。
 桜の木には未だに緑の葉が生えず、相変わらず裸のままだった。

(なぜだろう?)

 桜は考える。けれど答えが出るはずもなく。

(ああ、どうせなら、早く朽ち果ててしまえばいいのに)

 裸になった桜の木はそれでも、その場所にジッと生えている。




 それから日の経たないうちに、桜は異変に気がついた。
 すぐ下の地面に、新緑の葉が生い茂っているのだ。
 春と同じく、それはもう対照的に、地面は美しい緑に溢れている。

 これは一体どういうことなのだろう?

 桜は考えた。けれど答えが出るはずもなく。
 桜は仕方なく、夏の強い日差しの中を、根気強く立っていた。



 ***



「ねえママ、あの木まだ何も生えないよ」
「それはそうよ。だって冬だもの」

 あの親子がまた公園にやって来た。一年ぶりに見た女の子は、少し背が伸びたようだ。
 女の子は桜を見上げ、にこりと笑った。

「でも、雪がお化粧してくれてるよ」

 よかったね、と。
 母親も桜を見上げる。

「そうだね」

 母親も笑った。

「立派な桜だね」

 母親のその言葉で、桜は救われたような気がした。
 雪の重みはつらいけれど、こうして自分を見てくれてる人がいるのなら、まだ頑張って立っていようと思った。

- end -

09/02/22